立憲民主党の代表に立候補した泉健太氏に注目が集まっていますね。
泉健太氏は現在立憲民主党の政務調査会長を務めていらっしゃいます。
そんな泉健太氏はどのような人物なのでしょうか?
今回は学歴と経歴について調べてみました!
泉健太氏のプロフィール
まずは泉健太氏のプロフィールを見てみましょう。
名前:泉 健太(いずみ けんた)
生年月日:1974年7月29日
出身地:北海道札幌市北区
身長:176cm
学歴:立命館大学法学部
所属:立憲民主党
泉健太氏は7人家族で4人兄弟の末っ子です。
小中高は甲子園を目指し野球に打ち込んでいたとの事。
北海道出身の泉健太さんは、大学への進学を機に関西圏へ引っ越しをされているようです。
上の画像は小学校時代のものですが、既に現在の泉健太さんの面影がありますね(^^)
泉健太氏の学歴
北海道に生まれ育った泉健太氏。
学生時代はどのようにお過ごしになられたのでしょうか。
早速見て行きましょう。
高校時代
泉健太氏は北海道札幌開成高校をご卒業されています↓
開成という名がついていますが所謂東京の有名進学校である開成高校との繋がりはありません。
しかしながら、札幌開成高校の偏差値は63~66とかなり高め。
先述しましたが高校時代は野球に打ち込まれており、甲子園出場を目標にされていたそうです。
泉健太氏の高校時代は文武両道の道を突き進んでおられたのですね。
大学時代
泉健太氏は立命館大学をご卒業されています。
泉健太氏は立命館大学法学部に入学され弁論部に所属されていました。
在学中は関西学生弁論討論交流会会長、そして全日本学生弁論討論交流会会長などを務めていたそうです。
また、災害・環境・街づくりボランティアや政治啓発活動に取り組み、
立命館大学法学部長賞受賞も受賞されたんだそう。
大学時代から既にリーダーの立場を経験され活動も評価されており、
一目置かれる存在だった事が分かりますね。
泉健太氏の経歴
1998年に立命館大学をご卒業された泉健太氏は、参議院議員福山哲郎氏の秘書になられています。
当時の泉健太氏は秘書として市民が主役の政治をつくるべく現場で取り組みを続けていたそうです。
2000年には京都3区での出馬要請を受け民主党公認で全国最年少での立候補されました。※当時25歳
しかし、あと一歩に迫りながらも次点で惜敗されています。
2003年には京都3区から衆議院として初当選を果たされました。
その後は2009年にた鳩山由紀夫内閣で内閣府大臣政務官に就任。
内閣府大臣政務官を務めていた泉健太氏は、
少子化対策や党の東日本大震災ボランティア室長などをされていたとの事。
2012年には4期目の当選を果たすと、国会質問ランキングで京都1位になられています。
また、AERA「2020年の主役50人」に選出されたそう。
2016年には6期目の当選を果たし衆議院国土交通委員会筆頭理事・災害対策特別委員会委員・
裁判官弾劾裁判所裁判員・党国対副委員長・京都府総支部連合会会長などをご経験されています。
2020年には立憲民主党・国民民主党・社会保障を立て直す国民会議、
無所属フォーラムの2党2グループが合流して結党する新党代表選挙に立候補することを表明。
同年10日の投開票では枝野幸男氏に敗れ、15日に結党した新・立憲民主党の政務調査会長に就任をされました。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で8期目の当選を果たすと、
立憲民主党代表の枝野幸男氏がこの総選挙で立憲民主党が伸び悩んだ責任を取り、
党代表を辞任する意向を表明した事を受け、伴い行われる代表選挙に立候補する意向を表明しました。
2021年11月30日に新代表が決定する事になりますので、今後の活動に注視して行きたいですね。
あとがき
いかがでしたか?
今回は立憲民主党の泉健太氏について調べてみました。
地道な努力を重ねて来られてイメージの泉健太氏、今後のご活躍に注目しておきたいですね。
立憲民主党の代表へ立候補された他の方についても記事を書いていますので宜しければご覧下さい↓
小川淳也氏が【やから】と呼ばれるのはなぜ?3つの理由に納得…
それでは、今回はこの辺りで失礼します(^^)